Hydrangeas by the Roadside
あじさいが咲く季節になった。
奈良県では、あちこちで「あじさい祭り」が開かれている。
明日香村の東にある岡寺も、そのひとつだ。
色とりどりのあじさいが境内を彩り、
この季節になると多くの人が訪れる。
友人も毎年、
その景色を見に車を走らせてやってくる。
もちろん、その景色は美しい。
でも私は、
道端に咲くあじさいの方に目が留まる。
誰かに見てもらうためではなく、
雨を受け、
風に揺れながら、
毎年当たり前のように咲いている。
そんな姿が好きだ。
花びらのように見える部分も、
実は花ではない。
「装飾花」と呼ばれる、
ガクが変化したものだ。
本当の花は、
その真ん中でひっそりと咲いている。
そんなことを知ると、
いつものあじさいも少し違って見えてくる。
そして毎年思う。
どうして花たちは、
ちゃんと季節が分かるのだろう。
誰かに教わるわけでもなく、
桜も。
彼岸花も。
あじさいも。
その季節になると、
迷うことなく花を咲かせる。
たった数週間咲くために、
一年という長い時間をかけて、
静かに準備を続けている。
花が咲いている時間よりも、
見えない時間の方が、
ずっと長いのかもしれない。
なんと儚く、
なんと美しいのだろう。
今年も、
季節は迷うことなくやってきた。
私は、
どうだろう。
早く咲きたいと、
結果ばかりを見てしまってはいないだろうか。
今日書いた一文も。
今日撮った一枚も。
きっと今は、
咲くための時間なのだ。
来年、このあじさいを見たとき、
「あの一年があったから今がある」
そう思えるように、
今日もまた、
ひとつ積み重ねていこう。

