History|キトラ古墳とは?四神と星空が描かれた、明日香村の小さな古墳

明日香村の南西、小高い丘の上にあるキトラ古墳。

名前は聞いたことがあっても、
「何がそんなにすごいの?」
と聞かれると、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。

私も、その一人でした。

明日香で生まれ育ちながら、知っていたのは「キトラ古墳」という名前くらい。

ところが、小学4年生と2年生の娘たちと「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」を訪れてみると、そこには想像していた以上におもしろい世界がありました。

1400年ほど前につくられた小さな石室。

その壁には不思議な生き物たちが描かれ、天井を見上げれば、そこには星空が広がっていた。

しかも、そこに眠っていた人物が誰なのか、今も分かっていません。

今回は、そんな謎の多いキトラ古墳について、子どもにも分かるように辿ってみます。


目次

キトラ古墳って、どんな古墳?

キトラ古墳がつくられたのは、7世紀末から8世紀初めごろ

今からおよそ1300年以上前、飛鳥時代の終わりごろです。

大きさは下段の直径が約13.8m。

巨大な前方後円墳を想像して訪れると、
「意外と小さい」
と思うかもしれません。

その小さな古墳の中央に、18個の凝灰岩を組み上げてつくられた石室があります。

そして、この石室の中に描かれていたものこそ、キトラ古墳を特別な存在にしたものでした。


きっかけは、1983年の調査

キトラ古墳の存在自体は以前から知られていましたが、大きな転機となったのは1983(昭和58)年。

石室の中にファイバースコープを入れて調査したところ、北壁に描かれた「玄武」が確認されました。

これによってキトラ古墳は、高松塚古墳に続く、日本で2例目の壁画古墳であることが分かります。

その後の調査で、

青龍。
白虎。
朱雀。
そして玄武。

次々と壁画が確認されていきました。

現在、整備された古墳を見ていると、
「昔から大切に守られてきた場所」
のように感じます。

でも、四神の館で発見当時から現在までの経緯を知ってから古墳を見ると、見え方が少し変わります。

娘も、
「これが見つかって、今はこんなふうになってるってすごいな」
と驚いていました。

石室を守っていた「四神」

キトラ古墳で特に有名なのが、石室の四方に描かれた四神(しじん)です。

東には、青龍(せいりゅう)。
南には、朱雀(すざく)。
西には、白虎(びゃっこ)。
北には、玄武(げんぶ)。

四神は中国から伝わった思想に由来し、それぞれが方角などを司る存在です。

高松塚古墳にも四神は描かれていましたが、南壁は盗掘によって失われ、朱雀が残っていません。

そのため、青龍・朱雀・白虎・玄武の四神すべてが確認できる国内の古墳壁画は、キトラ古墳だけ。

小さな石室の中に、1300年以上前の人たちが思い描いた世界が残されていたのです。


天井には、1300年前の星空

そして、私が実際に四神の館へ行って特に印象に残ったのが、天文図でした。

石室の天井には、たくさんの星が描かれています。

ただ星を点々と描いただけではありません。

赤道や黄道などを示す円があり、その周囲に星々が配置された本格的な中国式の天文図です。

文化庁はこれを、東アジアに現存する最古の精密な天文図とされています

さらに天井近くには、金箔で表された太陽と銀箔で表された月も描かれていました。

今のような望遠鏡もない時代。

夜空を見上げ、星の位置を調べ、それを石室の天井に描いた人たちがいた。

そう考えると、
「昔の人」
というぼんやりした存在が、急に私たちと同じ空を見ていた人に思えてきます。


四神の下には、十二支もいる

さらにおもしろいのが、四神だけではないこと。

その下には、
人間の体に動物の頭を持つ「十二支像」
が描かれています。

子・丑・寅……。
私たちにも馴染みのある、あの十二支です。

それぞれの方角に合わせて、各壁に3体ずつ配置されていたと考えられています。
ただし、現在までに姿が確認されているのは、そのうち6体です。

四神がいて。
十二支がいて。
頭上には太陽と月と星がある。

キトラ古墳の石室そのものが、当時の人たちが考えていたひとつの「世界」だったのかもしれません。


キトラ古墳には、誰が眠っていた?

ここまで立派な壁画が描かれているなら、

「誰のお墓なの?」
と思いますよね。

ところが。
分かっていません。

これもキトラ古墳のおもしろいところです。

古墳の位置や石室の構造などから、天武・持統天皇の時代に生きた皇族などの墓ではないかと考えられていますが、被葬者を特定するまでには至っていません。

四神の館にも、
「キトラ古墳に葬られた人物を探る」
という展示があります。

小学4年生の娘がここで立ち止まって、じっと読んでいました。

1300年以上前につくられたお墓が残っている。
壁画も残っている。
中から見つかったものも調べられている。

それでも、
誰のお墓なのか分からない。

歴史って、「昔のことを覚える教科」ではなくて、まだ答えの出ていない謎がたくさん残っているものなんだと感じます。


小学4年生と2年生を連れて「四神の館」へ

今回訪れたのが、キトラ古墳のすぐそばにある
キトラ古墳壁画体験館 四神の館。

行く前の私は、
「古墳について説明している小さな資料館かな」
くらいに思っていました。

いい意味で、完全に予想を裏切られました。

館内はとてもきれいで、展示もしっかりつくられています。

天井には天文図。
石室の原寸大模型や壁画の展示、発掘から保存までの経緯なども紹介されていて、
「これで入館無料でいいの?」
と思ったほど。

実際、四神の館は入館無料です。

高松塚古墳とは何が違う?

明日香村には、もうひとつ有名な壁画古墳があります。
高松塚古墳です。

どちらも7世紀末から8世紀初めごろにつくられたと考えられていますが、石室の中は同じではありません。

キトラ古墳高松塚古墳
四神四神すべて現存朱雀が失われている
星空精密な「天文図」簡略化された「星宿図」
その他の人物獣頭人身の十二支男子・女子の人物群像
天井屋根形平らな天井
石室の石材18個16個

四神の館には、この違いが分かりやすく紹介されている展示もあります。

娘たちもここは興味津々。

「同じような古墳」だと思っていたものを比べてみると、違いが見えてくる。

子どもと歴史を見るときには、こういう「どっちが違う?」という入口が案外分かりやすいのかもしれません。


子どもが食いついたのは「見る」「比べる」「探す」

特に娘たちが興味を持っていたのが、石室の模型。

実際の石室がどれくらいの大きさなのか、壁画がどこに描かれていたのか。

文章だけでは分かりにくいことが、立体になると一気に分かります。

[写真:2人で石室模型を見ている写真]

もうひとつ楽しんでいたのがスタンプラリー。

そして意外だったのが、先ほど紹介した高松塚古墳との比較でした。

「これはキトラにはあるけど、高松塚にはない」

と違いを探せるので、ただ説明を読むより入りやすかったようです。


小学2年生には、少し難しいところも

一方で、正直に書いておきたいこともあります。

歴史にまったく興味がない子なら、10分も持たない可能性があります。

小学4年生の娘は説明を読みながら展示を見られましたが、小学2年生には難しい漢字も多く、ルビのない解説文は一人では読めません。

途中から少し退屈そうになる場面もありました。

だから低学年の子と行くなら、
「全部読もう」
としなくていいと思います。

「青龍どこにいる?」
「十二支を探してみよう」
「このお墓、誰のお墓やと思う?」

そんなふうに、ひとつ謎を見つけるくらいで十分。

スタンプラリーや模型を入口にすると、低学年でも楽しみやすそうです。


四神の館を見てから、キトラ古墳へ

できれば、資料館だけで帰らずに実際のキトラ古墳も見てみてください。

壁画そのものは保存のため石室から取り外され、修理・保存されています。古墳の石室は埋め戻されているため、普段訪れて石室の中を見ることはできません。

だから今、目の前にあるのは静かな小さな古墳です。

でも、

ここに四神がいたこと。
十二支がいたこと。
天井いっぱいに星が描かれていたこと。
そして、誰が眠っていたのか今も分からないこと。

それを知ってから見ると、ただの「緑の丘」ではなくなります。

1300年以上前、この場所に確かに誰かがいた。

そして長い時間を経て、その痕跡を今の私たちが見ている。

子どもたちが今見ている景色も、また次の世代へ残っていくのかもしれません。


キトラ古墳・四神の館|基本情報

📍MAP

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