今年の夏、娘は自分で浴衣を着られるようになった。
少し前まで、帯を結ぶのも、着崩れた浴衣を直すのも私の役目だったのに。
鏡の前で自分の姿を確かめる娘を見ながら、いつの間にこんなに大きくなったんだろうと思う。
その浴衣姿の娘たちと、明日香村の夏まつりへ出かけた。
私が生まれ育った、この土地の夏まつり。
もちろん、昔とまったく同じではない。
場所も変わった。
祭りの形も、きっと少しずつ変わってきた。
それでも夏になると人が集まり、夜空を見上げる。
そして今年も、明日香の空に花火が上がった。
大きな音が響いて、暗い空に光が広がる。
隣では、娘たちが顔を上げて花火を見ている。
その横顔を見ながら、ふと思った。
私も昔、こうして明日香の空を見上げていたんだな、と。
あのころは、この場所で夏祭りがあることも、
花火が上がることも、特別なことだとは思っていなかった。
夏になれば祭りがあって、友達と出かけて、花火を見る。
ただ、それだけだった。
でも大人になって、娘たちと同じ空を見上げてみると、
その「当たり前」は、誰かが続けてくれたからそこにあったのだと気づく。
祭りを準備する人がいて。
場所を整える人がいて。
毎年、この夏の一日をつないできた人たちがいる。
今年、明日香は世界遺産のある村になった。
けれど、世界遺産になったから、この土地の歴史が始まったわけではない。
ずっと昔からここには人が暮らし、その時代を生きた人たちが、それぞれの暮らしを次へ渡してきた。
歴史や遺跡だけではない。
田んぼのある風景も。
季節の行事も。
夏の夜にみんなで見上げる花火も。
明日香には、そうやって人から人へ渡されてきたものが、たくさんあるのだと思う。
そしてたぶん、私も今、その途中にいる。
子どものころの私は、そんなことを考えもしなかった。
ただ楽しくて、ただきれいで、夜空に上がる花火を見ていた。
娘たちだって、今はそれでいい。
いつか大人になって、この日のことを覚えているかもしれないし、
すっかり忘れてしまうかもしれない。
それでもいいと思う。
今年の夏、浴衣を着て、明日香の夜空を見上げたこと。
その時間が、娘たちの中のどこかに残ってくれたらいい。
昔、自分が見ていた花火を、今は娘たちと見ている。
受け継ぐというのは、案外こういうことなのかもしれない。

