明日香村には、たくさんの古墳があります。
石舞台古墳。
高松塚古墳。
キトラ古墳。
明日香で生まれ育った私にとっても、このあたりは昔から馴染みのある名前です。
でも、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)
については、
「なんか、また古墳が出てきたんやな」
くらいに思っていました。
誰のお墓なのかも知らない。
八角形だということも知らない。
斉明天皇(さいめいてんのう)と関係があることも知らない。
ところが調べてみると、この古墳には、
「もしかして、この人のお墓では?」
と考えられている人物がいました。
その手がかりになるのが、
古墳の形。
中につくられた二つの空間。
そして、すぐそばで見つかったもう一つの古墳。
1300年前に完成した『日本書紀』の記録ともつながっていきます。
今回は、そんな牽牛子塚古墳の謎を、一つずつ辿ってみます。
牽牛子塚古墳って、どんな古墳?

牽牛子塚古墳があるのは、明日香村越(こし)。
飛鳥駅から線路を渡った西側の丘にあります。
実際に歩いて行って、まず思ったのが、
「白い!」
そして、
「思っていたより大きい」
ということでした。
古墳といえば、土と緑に覆われた小さな山のような姿を想像しませんか?
でも、牽牛子塚古墳はまったく違います。
白い石に覆われていて、形も少し変わっています。
上から見ると、八角形。
牽牛子塚古墳は、飛鳥時代の終わりごろにつくられたと考えられている八角墳(はっかくふん)です。
八角墳とは、その名前の通り、
八角形につくられた古墳のこと。
では、どうしてわざわざ八角形のお墓をつくったのでしょう?
ここからが、この古墳のおもしろいところです。
どうして「八角形」なの?

昔の人のお墓には、いろいろな形があります。
丸い古墳。
四角い古墳。
そして、鍵穴のような形をした前方後円墳。
ところが飛鳥時代の終わりごろになると、天皇のお墓に八角形の古墳がつくられるようになります。
実際に、明日香村にある天武・持統天皇陵も八角形です。
つまり、「八角形である」
ということは、
「ここには、とても身分の高い人が眠っていたのでは?」
と考える手がかりになるのです。
では、牽牛子塚古墳には誰が眠っていたのでしょう?
誰のお墓なの?
現在、有力だと考えられているのが、
斉明天皇(さいめいてんのう)
です。
斉明天皇は、飛鳥時代に生きた女性の天皇です。
実はこの人、一度目は皇極天皇(こうぎょくてんのう)という名前で天皇になりました。
その後いったん天皇の位を退き(しりぞき)、もう一度天皇になります。
そのときの名前が、斉明天皇。
つまり、
皇極天皇と斉明天皇は、同じ人。
飛鳥の歴史を調べていると、何度も登場する重要な人物です。
ただし、
「牽牛子塚古墳は斉明天皇のお墓です」
と決まったわけではありません。
宮内庁が斉明天皇のお墓としている場所は、別にあります。
それでも考古学の研究では、
「牽牛子塚古墳こそ、斉明天皇のお墓ではないか」
という説が有力です。
八角形であることも、その理由のひとつ。
でも、手がかりはそれだけではありません。
お墓の中には、二つの空間

牽牛子塚古墳には、亡くなった人を納めるための石槨(せっかく)があります。
「石槨」というと難しく聞こえますが、
石でつくられた、遺体を納めるための部屋
くらいに考えると分かりやすいでしょう。
現地で入口を見たとき、
「高松塚古墳やキトラ古墳と同じで、やっぱり“石”なんやな」
と思いました。
でも、牽牛子塚古墳は少し変わっています。
大きな一つの石をくり抜いてつくられていて、その中が、
二つの空間
に分かれているのです。

どうして二つなのでしょう?
ここで、1300年以上前につくられた歴史書、
『日本書紀(にほんしょき)』
が登場します。
斉明天皇は、娘と一緒に葬られた?
『日本書紀』には、斉明天皇が亡くなったあと、
娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)と一緒に葬られたことが記されています。
つまり、お墓には二人が眠っていたことになります。
ここで牽牛子塚古墳を思い出してみます。
天皇のお墓に見られる八角形。
そして、
二人を葬ることのできる二つの空間。
「もしかして……?」
と思えてきませんか。
でも、まだ手がかりがあります。
しかも次の手がかりは、古い本の中ではなく、
本当に地面の下から見つかりました。
すぐそばに、もう一つの古墳があった
2011年。
牽牛子塚古墳のすぐ近くから、もう一つの古墳が見つかりました。
名前は、
越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)。
実は私、今回ここを見逃しました。
牽牛子塚古墳を見て満足して帰ってきたのですが、記事を書くために調べて、
「こっちも見なあかんかったやん……」
となりました。
なぜなら、この古墳も『日本書紀』につながっているからです。
1300年前の記録と、本当に見つかった古墳
『日本書紀』には、斉明天皇についてもう一つ興味深いことが書かれています。
斉明天皇と間人皇女を一緒に葬り、
その陵の前に、斉明天皇の孫にあたる
大田皇女(おおたのひめみこ)
を葬った、という記録です。
そして実際に、
斉明天皇と間人皇女のお墓ではないかと考えられている牽牛子塚古墳のすぐ近くから、
もう一つの古墳が見つかった。
それが越塚御門古墳です。
そのため、
牽牛子塚古墳
=斉明天皇と間人皇女?
越塚御門古墳
=大田皇女?
と考えられています。
もちろん、まだ「絶対にそうだ」と決まったわけではありません。
でも、
1300年以上前に書かれた本に、
「ここに二人を葬って、その前にもう一人を葬った」
という記録が残っている。
そして長い時間が経ってから、
実際に近くからもう一つの古墳が見つかった。
歴史って、おもしろい。
本に書かれていたことと、地面の下から見つかったものが少しずつつながっていきます。
「最近見つかった古墳」だと思っていました
ここで、私自身が勘違いしていたことも。
私は牽牛子塚古墳を、
「最近、新しい古墳が見つかったんやな」
と思っていました。
でも、そうではありません。
牽牛子塚古墳そのものは、ずっと以前から知られていました。
1913(大正2)年には調査が行われ、翌年には人骨や棺(ひつぎ)の一部なども確認されています。
そして2010年に行われた発掘調査で、
「この古墳は八角形だった」
ということなどが、より詳しく分かってきました。
さらに翌2011年には、すぐそばから越塚御門古墳が見つかります。
つまり、
最近古墳ができたわけでも、最近初めて見つかったわけでもありません。
長い間そこにあった古墳を調べることで、少しずつその姿が分かってきたのです。
どうして今は、こんなに白いの?

現在の牽牛子塚古墳を見ると、かなり特徴的です。
やっぱり、白い。
現在の姿は、発掘調査で分かったことをもとに、当時の古墳の姿をイメージできるよう整備されたものです。
だから、
「昔、明日香へ来たことがあるけど、こんな古墳あった?」
と思う人がいても不思議ではありません。
古墳そのものは1400年前からここにある。
でも私たちが今見ている姿になったのは、ずっと最近のことです。
丘の上から見る、もうひとつの明日香

そして、現地へ行ったら古墳だけでなく、
ぜひ景色も見てほしい。
明日香村の景色といえば、甘樫丘からの眺めが有名です。
私自身も「明日香の景色」と聞くと、まず甘樫丘を思い浮かべます。
でも、
こちら側から見る明日香も、いい。
線路が見える。
家が見える。
田畑が見える。
その向こうに山がある。
観光地としての明日香というより、
今も人が生活している明日香村
が見える景色だと感じました。
1400年前のお墓の上から、今の明日香の暮らしを見る。
なんだか不思議な感覚です。
飛鳥駅の「反対側」にある古墳
そして、地元で育った私にとって意外だったのが、
牽牛子塚古墳がある場所
でした。
石舞台古墳。
飛鳥寺。
高松塚古墳。
キトラ古墳。
明日香村の有名な観光スポットの多くは、飛鳥駅から見て線路の東側にあります。
だから、線路の西側には、
「観光に行く場所がない」
という感覚がありました。
初めて牽牛子塚古墳へ向かったときも、
「駅のこっち側なんや」
と、それだけで少し驚きました。
明日香で暮らしていても、まだ知らない場所がある。
それも今回、少しおもしろかったことのひとつです。
子どもと行くなら、ここを見てみよう
今回は一人で訪れましたが、実際に歩いてみて、
子どもと来てもおもしろそう
だと思いました。
古墳はきれいに整備され、八角形の形も分かりやすくなっています。
周辺には古墳の形が分かる模型もあります。
子どもと訪れたら、いきなり歴史を説明するより、
「この古墳、何角形?」
から始めてみてもいいかもしれません。
そして、
「なんで八角形なんやろ?」
「中の部屋は、なんで二つあると思う?」
「もう一つのお墓はどこにある?」
と探してみる。
答えを全部覚えなくても、
「なんで?」をひとつ持って帰る。
それだけでも、歴史を見る目が少し変わるかもしれません。
石室をもっと近くで見られる「特別公開」も
普段の見学でも牽牛子塚古墳を見ることはできますが、期間限定で石室の特別公開も行われています。
特別公開では、ボランティアガイドの説明を聞きながら、牽牛子塚古墳と越塚御門古墳を見学できます。
牽牛子塚古墳では、普段よりも間近から石室内部を見ることができます。ただし、石室の中に入ることはできません。
一方、越塚御門古墳では実際に石室内に入り、約12分の映像作品「三代皇女物語」を鑑賞できます。
この記事で紹介した、
「斉明天皇と間人皇女が眠っていたのでは?」
そして、
「すぐそばの越塚御門古墳には大田皇女が眠っていたのでは?」
という二つの古墳の関係を知ってから参加すると、よりおもしろく見られそうです。
石室特別公開|基本情報
| 内容 | |
|---|---|
| 開催期間 | 3〜6月/9〜12月の土・日・祝日 ※年末を除く |
| 料金 | 1名500円 ※未就学児無料 |
| 所要時間 | 各回約45分 |
| 時間 | 9:30/10:30/11:30/13:30/14:30/15:30 |
| 定員 | 各回7名 |
| 見学方法 | ボランティアガイドによる案内付き |
| 予約 | 事前予約制 |
予約は「じゃらんnet」から受け付けています。
開催日や内容が変更される場合もあるため、訪問前に最新情報を確認してから予約してください。
そして、
越塚御門古墳も忘れずに。
私も次に行ったときは、ちゃんと見てこようと思います。
牽牛子塚古墳|アクセスと駐車場・トイレ
牽牛子塚古墳は、近鉄飛鳥駅から徒歩約15分。
私は実際に飛鳥駅から歩きましたが、体感では10分ほどでした。
途中、昔からある集落の中を通っていくため、初めて訪れる場合は少し道が分かりにくく感じるかもしれません。
そして、車で訪れる場合は注意が必要です。
牽牛子塚古墳には、一般来訪者向けの常設駐車場はありません。
臨時駐車場が設けられる場合もありますが、いつでも利用できる駐車場ではありません。
明日香村では、飛鳥駅周辺などの駐車場を利用して、徒歩で向かう方法が案内されています。
古墳周辺にはトイレがありません。飛鳥駅から歩いて向かう場合は、駅前で済ませてから出発するのがおすすめです。特に子どもと一緒の場合は、先に立ち寄っておくと安心です。
詳しいアクセスや最新情報は、訪れる前に明日香村の公式案内を確認してください。
現地で見てみよう
牽牛子塚古墳を訪れたら、ぜひ想像してみてください。
- どうしてこの古墳は八角形なのだろう?
- 大きな石を、どうやって丘の上まで運んだのかな?
- 本当に斉明天皇と娘がここに眠っていたのだろうか?
- 1300年以上前、この丘からはどんな景色が見えていたのかな?
昔、明日香を訪れた人にこそ見てほしい
石舞台古墳は見た。
高松塚古墳も見た。
飛鳥寺にも行った。
「明日香なら、昔行ったことがあるよ」
そんな人にこそ、次に明日香を訪れたとき、牽牛子塚古墳まで足を延ばしてみてほしいと思います。
私自身、
「なんか最近、また古墳が出てきたんやな」
くらいに思っていました。
でも調べてみると、
八角形という形。
二人を葬るためにつくられたような石の空間。
すぐ近くから見つかった、もう一つの古墳。
そして、それと重なる『日本書紀』の記録。
一つずつ見ていくと、
「ここに斉明天皇が眠っているのかもしれない」
と考えられている理由が見えてきます。
もちろん、本当の答えはまだ分かりません。
だからこそ、
「本当にそうだったのかな?」
と想像しながら現地を歩く。
そんな楽しみ方ができるのも、明日香の歴史のおもしろさなのだと思います。
丘の上まで登ったら、最後に少し振り返ってみてください。
線路があり、
家があり、
田畑があり、
その向こうに山がある。
1400年前の歴史が眠る場所から、今の明日香村の暮らしが見えます。

